架空の症例集
エピソード4 「やっぱり俺は、天才だ」
症例
健太、38歳男性。大学教官。 その妻M穂が、疲れ果てた表情でクリニックを訪れた。
夫の健太はM穂の3つ年上で、大学院時代の先輩だった。 二人は新入生歓迎会で出会い、一目で恋に落ちた。 健太は明るく朗らかで、M穂は一緒にいると楽しかった。 よく教授の物真似をして笑わせたり、休みの日には健太の車で岩手や青森の奥地までドライブに出掛けた。 わずか1ヶ月ほどの熱烈な恋愛期間を経て、二人は結婚した。
ところが結婚して5年ほど経つと、M穂は夫の気分に波があることに気がついた。 陽気でおしゃべりな時期と、無口で塞ぎこんでしまう時期があるのだ。 元気なときは夜通しで仕事を続けたり、学生のころのようにM穂を遠方までドライブに連れだしてくれた。 ところがしばらくすると、健太は次第に怒りっぽくなることに、M穂は気付いた。
半年ほど経つと、今度は逆に元気がなくなってしまう時期が来た。 動作は緩慢で、口調も重苦しくなった。 朝方はなかなかベッドから起きあがれず、「体が鉛のように重い」と言って大学を休むこともあった。 M穂は健太の体を心配して、いくつか病院を受診したが、どこの病院でも「異常はない」と言われた。 ただ最近1年ほどは、そうした気分のムラがないことに、M穂は安堵していた。
今から遡ること、1ヶ月ほど前のことだった。 「教授から『論文の数が少ない』と嫌味をいわれた」と、健太がぼやいた。 健太は教官として採用されたばかりで、「大学をクビになるかも知れない」と強い危機感に襲われた。 それからというもの、徹夜で論文を書く日々が続いた。 執筆がはかどってきたのか、妙に機嫌がよくなる時期があった。 数週間前のこと、突然、健太が茶髪に染めて帰宅した。 M穂が唖然とした顔で出迎えると、「なんだよ、文句あるのかよ」と不機嫌に言い放った。 その翌週には、薄給にもかかわらず外国製の高価なバイクを購入してきた。 金ぴかのバイクを見てM穂が眉をひそめると、健太はイライラして「オレが稼いできた金だろ」と大声で怒鳴った。 それから数日のあいだは食事も睡眠もほとんどとらず、みるみるうちに痩せこけてきた。 ただ二つの目だけは、爛々と輝いていた。
最後にM穂は、昨晩秘かにICレコーダーで録音したという健太の肉声を聞かせた。 大声でまくしたてる健太の声が、小さなスピーカーから割れんばかりに響いてきた。
アイディアがマグマみたいに次から次へと湧きでてくるんだよ。
まるで地球のエネルギーだね。
地球といえば、温暖化。ホッキョクグマだ。
『寝てるか』って? そんな無駄なことするわけないよ。
だって、眠るってことは死んでるのと同じじゃあないか。
『死は眠りにすぎぬ』っていうだろ。ハムレットの台詞だよ。知らないのかい、シェイクスピアのハムレットだよ。お前、教養ないねえ。
オレは生きたいんだよ。一瞬たりとも無駄にしたくないんだよ。
だいたいね、俗物が多すぎるんだよ。日本は。
日本といえば、少子化。これも結局はね、日本人がセックスしないからだよ。
オレなんてね、性欲がみなぎって精力が体からこぼれ落ちそうだよ。
そうだ、いいこと思いついたぞ。ユーレカ。
この溢れんばかりの精力をつかえば、日本の少子化に歯止めをかけれるんじゃないか?
女は子どもを孕むと1年近くは使い物にならねえが、オレは1日何回でもOKだ。つまり生殖も並列処理が可能だな。
オレのことを、生殖スパコンって呼んでくれ。
やっぱりオレって天才だな。
(甲高い歌声で) So lets start giving,,,
解説
双極性障害をテーマとした症例です。 双極性障害は、以前は躁うつ病と呼ばれていた病気です。
病気について
双極性障害では、躁病相とうつ病相がくりかえし出現します。 躁病相は、以下のような症状が特徴です。
- 多幸感、爽快感
- 活動性の亢進
- 不眠
- 逸脱行動
- 食欲低下
- 易刺激性、易努性
- 誇大妄想
- 観念奔逸
適度な多幸感や爽快感は、本人や周囲にも楽しい雰囲気をもたらします。 活動性の亢進も、ある程度までは、本人の能力を高めてくれるでしょう。 ただ何事にも限度が必要です。 躁病相では、病状が悪化すると刺激に対しても過剰に反応するようになります(易刺激性)。 その結果、些細なことでイライラするようになります。 しかもその怒り方はしばしば尋常ではなく、四六時中どなりちらすなどの異常な行動に発展することもあります。 さらに症状が強まると誇大妄想や観念奔逸などの病的な傾向も明らかになります。 観念奔逸とは、考えが次から次へと浮かび、話題の方向性が変わることを意味します。 一連の症状は、健太にも見られています。 このレベルになると、治療が必要です。
一方でうつ病相では、抑うつ症状が出現します。 これらの症状は、いわゆる大うつ病と瓜二つです。
- 悲哀感
- 意欲減退
- 食欲低下
- 不眠
- 希死念慮
それぞれの病相は、たいてい数ヶ月ほど持続します。 そしてこれらの病相の間には、症状がおさまって健常に戻る時期があります。 これが、他の精神疾患とは大きく異なる、双極性障害の際立った特徴です( 臨床精神病理学序説 ) 。
全人口の約1%程度がこの病気にかかると言われています。 適度な躁病相では人並み以上の能力を発揮するため、歴史上の著名人のなかにも双極性障害の方がいます。 有名なところでは第2次世界大戦で活躍したチャーチル首相です。 また感情の起伏が激しくなるので、芸術家のなかにも双極性障害であったのではないかと言われる人がいます。 ゲーテやベートーヴェンは、その生き方や作品の内容から双極性障害が疑われます。 また北杜夫は、自ら躁うつ病であることをエッセイのなかで記しています。
病気の生物学的な原因はまだ判明していません。 ただ一卵性双生児での研究で50%以上という高い一致率(片方が病気になったとき、もう片方も病気になる割合)を示すことから、遺伝的な要因が少なからず関与していると考えられています( Family, Twin, and Adoption Studies of Bipolar Disorder , Genetics of bipolar disorder ) 。
治療について
治療は、気分安定薬を主体とした薬物療法が中心となります ( 臨床精神神経薬理学テキスト ) 。気分安定薬とは、気分が高揚したときはそれを抑え、気分が沈んだときは持ち上げてくれる作用をもった薬のことです。 焦燥や興奮が強い場合には、抗精神病薬も補助的に使われます。
分類 | 一般名 |
---|---|
気分安定薬 | 炭酸リチウム |
気分安定薬 | バルプロ酸 |
抗精神病薬 | オランザピン |
うつ病相でも使う薬はおおむね同じです。 うつ病相のときに抗うつ薬で抑うつ気分を改善すればいいのではないか、と考えるかも知れません。 しかしながら、双極性障害のうつ病相には抗うつ薬はあまり効果がないだけではなく、躁転(躁病相に移行すること)のリスクがあるとされています。 したがって、双極性障害に対する抗うつ薬の使用には慎重であるべきだという意見が多数です。
なお、この病気で高い確率(80〜90%)で再発します。 特に健太のように躁症状の程度が強い場合や、何度もエピソードを繰り返す場合は、高い確率で再発することが予想されます。 そのため、病状が改善したあとも内服を継続しながら定期的に通院することが大切です。
エピソード3 「こんなにつらい人生ならば、死んでしまいたい」
症例
健一、53歳男性。地方公務員。 特に秀でたところがあるわけではなかった。 顔面と右腕には、幼いころ天ぷら油をかぶってできた火傷の瘢痕が今でも残っていた。 運動も苦手で、駆けっこではいつもビリだった。 取り柄といえば、真面目で穏かな性格だけだった。 高校を卒業したあと、なんとか障害者枠で地元の区役所に就職することができた。
30歳のときに職場で知り合った女性と結婚し、一人娘のN海が産まれた。 「自分と結婚してくれる女性などいるはずがない」と思っていた健一は、初めて幸せというものを知った。 間もなくして健一の家は、妻と娘の笑い声がいつも響くようになった。 それから20年あまり、平凡だがささやかな喜びに満ちた人生を送っていた。
人生の転機が忍びよってきたのは、50歳を過ぎたころだった。 1年前に妻の乳房に癌が見つかった。 既にリンパ節に転移しており、治癒は到底期待できなかった。 妻は「死にきれない」と何度も言いながら、半年後に息を引きとった。
「ステージ4にしては頑張ったほうだよ」
健一が病院をあとにするとき、背の高い白衣の男が若い看護師につぶやくのを聞いた。
妻の死から数ヶ月が過ぎた真冬のある日のこと。 警察からの電話を受けたとき、健一は何のことだかさっぱりわからなかった。 その日の朝、N海が通勤電車に飛びこんで命を断った。 N海は就職してからなかなか仕事を覚えられず、上司のB男の理不尽な振舞いにも悩んでいた。
「ちっ、この忙しいときに」
B男は、部下の自殺を聞いたとき職場でそうつぶやいたという。 健一は、そのことを人伝てに聞いた。
ごく親しい身内だけでささやかな葬式をあげた。 生前ふくよかだった娘の身体は、ものの30分もしないうちに、炎に焼かれて灰色の骨だけになった。 健一は、長いあいだ無言で灰を見つめていた。 見かねた姉が、手際よくN海の骨を拾って骨壺におさめた。
1週間後に忌引から職場に戻ってきたとき、役場の同僚たちは健一の姿をみて驚いた。 顎には雑草のような無精髭が生え、目は死んだ魚のように澱んでいた。
健一が仕事から帰宅しても、家の中はひっそりと静まりかえっていた。 空家のような自宅で、一日中ぼーっとしていた。 何も食べる気がせず、御飯を口に入れても砂を噛んでいるようだった。 布団に入ると毎晩のように幼いころの娘が枕元にあらわれた。 小学校にあがるとき、娘はミッキーマウスの高価なランドセルを欲しがった。 そのランドセルを買ってあげなかったことを、悔んだ。
それから数週間が経ったある日。 勤め先から「1週間も無断欠勤している」という連絡を受けた姉が、あわてて健一の様子を見にきた。 玄関をあけると、健一は尿臭漂う敷布団の上でミイラのように横たわっていた。 そして、か細い声でつぶやいた。
「このまま死なせてくれ」
解説
症例には物語としてやや誇張したところがありますが、典型的な大うつ病のケースです。 大うつ病は、人生における深刻なイベントが引き金となって、長期にわたって強い抑うつ症状が持続するのが特徴です。
人生では嫌なことつらいことはたびたび訪れます。 そのときは誰だって気分が落ち込んだり、悲しくなるものです。 しかしながら、ほとんど場合、「生き延びたい」という欲求が次第にまさってきます。 大うつ病では、この生物としての原始的な修復メカニズムが破綻します。
それでは、自然に回復する抑うつ状態といわゆる大うつ病とを区別する点はどこでしょうか? まず我々が注目するのは、症状の時間的な性質です。 大うつ病では、以下のような特徴があります。
- 症状に日内変動が乏しい
- 数週間以上という長期にわたって持続する
次に、注目するのは、その症状の中身です。 特に医学的に重要な症状は、以下の2点です。
- 顕著な身体症状
- 食欲低下による衰弱
- 強い不眠
- 無動
- 死にたいという気持ち(希死念慮)
これらが重要なのは、いずれも生命に危機が及ぶからです。 つまり、最悪の場合には衰弱死あるいは自死という結末をもたらします。 そのため医学的な介入が不可欠となります。
ところで大うつ病の基準に該当しない場合、「そのうちよくなるだろう」といって放置してよいものでしょうか? それは違うと思います。 中等度の抑うつ症状であってもそれが必ず回復するかどうかは経過を追わないとわかりません。 また、何度も繰り返しストレスが加えられると、例え軽症の抑うつ症状であっても、どこかの時点で重症化します。 どんな人間にも「これ以上は耐えられない」という限界はあるのです。 健一のケースでも、妻の死はなんとか乗りこえられたようですが、その数ヶ月後に突如としてやってきた一人娘の死には無力でした。 このため、仮に大うつ病でなくても、しばらくのあいだ経過を追うことには重要な意味があります。
治療について
残念ながら健一のようなケースでは、 もはやクリニックでの外来診療では対応できません。 定期的な受診は期待できませんし、自宅にて自殺の危険があるからです。 すぐに入院を受け入れてくれる精神科病院を探して、経過を記した紹介状を発行します。
入院の目的は、1) 生命の保全と 2) うつ病からの回復です。 入院直後は 1) の生命の保全が最優先となります。 特に生命に切迫した危機をもたらす栄養障害と希死念慮への対処が急務です。 そのため点滴などで栄養を補給したり(経管栄養)、自殺しないように身体を固定する(身体拘束)などの強制的な処置がとられることもあります。
うつ病からの回復には、主に抗うつ薬が用いられます。 ただ抗うつ薬を飲んだからといってすぐに元気になるわけではありません。 抗うつ薬は、1) 症状の軽減化, 2) 持続期間の短縮, 3) 再発予防といった補助的な効果にとどまるのです ( Prevention of major depressive disorder relapse and recurrence with second-generation antidepressants: A systematic review and meta-analysis , Evidence-based guidelines for treating depressive disorders with antidepressants: A revision of the 2008 British Association for Psychopharmacology guidelines )。 昨今では抗うつ薬の効用自体を疑問視する論者 ( Antidepressants and the Placebo Effect ) もおり、その効果を過信するのは禁物です。
なお健一のような重篤な症例では、電気けいれん療法も検討されなければなりません。 電気けいれん療法は、抗うつ薬よりも安全で迅速な効果をもたらすことが研究で示されています ( Efficacy and safety of electroconvulsive therapy in depressive disorders: a systematic review and meta-analysis )。 なお宮城県内で電気けいれん療法を実施している病院は、東北大学病院のみのようです。
エピソード2 「電車に乗ると息ができないほど苦しくなる」
症例
美咲、25歳女性。宮城県の郊外に住む会社員。 大好きだった祖母が半年前に死去し、しばらく気持ちが落ち込んでいた。 それでも持ち前の明るい性格で徐々に元気を取りもどしていった。
初夏のある日のこと、美咲はいつものように電車で仙台まで通勤していた。 朝の通勤電車は、多くのサラリーマンでごったかえしていた。 ムンムンした熱気が車内に充満して、美咲はわずかに息苦しさを感じた。 何気なく窓の外をながめると、遠くの国道上に交通事故の現場が見えた。 路面には赤い血が流れており、重大な事故であったことがうかがわれた。 突然、心臓が激しく高鳴るのを感じた。
その1ヶ月後にも同様の症状が出現した。 やはり満員電車のなかだった。 このときは「心臓が破裂するのはないか」と思うほどの恐怖に襲われた。 美咲は我慢できず、思わず途中の岩切駅で下車した。 駅のホームにうずくまっていると30分ほどで症状は改善したものの、会社には遅刻してしまった。 心配した上司に、病院への受診を勧められた。
翌日、美咲は近所の内科クリニックを受診し、心電図や採血などの検査を受けた。 検査では何の異常もなく、診察した医師からは精神科受診を勧められた。 美咲は内心それを快くは思わなかった。
それからというもの、通勤前にはいつも「電車に乗ったらまた発作が起きるのではないか」という不安に襲われるようになった。 何の異状もない日もあった。 しかし、日が経つにつれて確実に発作の頻度は増えていった。 しまいには電車に乗ると、毎回のように発作が出現するようになった。 その症状も、呼吸困難、動悸にくわえて、発汗、めまいなど多彩になった。
秋になると、美咲はとうとう全く通勤できなくなった。
解説
パニック障害を題材としたケースです。 医学における「パニック」という用語は、「この前、仕事が増えてパニックになったよ」という意味とはやや異なります。 医学での「パニック」とは、この美咲のケースのように、強い不安をベースにして呼吸や心臓などの身体的な症状が出現するような不安発作を意味します。
一般にパニック発作は、特定の状況に関係なく起きると考えられています。 幾度か発作が繰りかえされることで、「また発作が起きるかも知れない」という不安(予期不安)に発展します。 このとき初めの発作が起きた状況に不安が紐づけられてしまうことが多々あります(状況依存性)。 臨床経験上では、この症例のように、満員電車のような閉鎖的な環境で誘発されることが多いように感じます。
もともと不安や恐怖といった感情は、誰にでもそなわっている自然な感情です。 おそらく安全を確保するために生物が長い年月をかけて獲得した防御システムの一種でしょう。 ところが、その防衛システムが過剰に発動されると本来の目的から逸脱することになります。
不安の防衛システムがどのように暴走してパニック障害へと発展するかは、よくわかっていません。 うつ病と同じように脳内のセロトニン受容体が関与しているという説が今のところ有力です。 また発展途上国よりも先進国のほうが罹患者が多いため、都市化ともなうストレス過多が一因となっていることは間違いないようです。
パニック発作自体は生命に危険を及ぼすことはなく、30分ほどで自然になくなります。 ただ死を真近に感じるほど切迫した恐怖心を味わうので、当の本人はとても苦痛に感じます。 しかもこのケースのように、通勤できなくなるなど社会活動にも影響を及ぼすレベルにまで悪化することもあります。 このレベルに達すると、メンタルクリニックへの受診が必要でしょう。
治療について
病状を見るかぎり、美咲の病名はパニック障害と考えて差し支えないでしょう。 ただ、パニック発作と類似した症状を呈する疾患は、以下のようにいくつかあります。 そこでまず最初に、これらの身体的な疾患ではないことを確認しておく作業は大切です。
- 甲状腺機能亢進症
- 褐色細胞腫
- 喘息発作
- 良性発作性頭位めまい症
- メニエール病
- 強迫性障害
パニック障害として間違いないことが確認されれば、次にその治療に移ります。 パニック障害の治療には、大きくわけて2つあります。 いずれか一方でも効果がありますが、両方の治療を併用するとさらに効果的であることが各種の臨床研究でわかっています。
- 薬物療法
- 認知行動療法
薬物療法では、抗うつ薬と抗不安薬が用いられます。 それぞれ特徴に違いがあるので、使いわける必要があります。
医薬品名 | 分類 | 急性症状への効果 | 長期の効果 |
---|---|---|---|
パキシル | SSRI系抗うつ薬 | ○ | |
リフレックス | 四環系抗うつ薬 | ○ | |
ソラナックス | 抗不安薬 | ○ |
認知行動療法とは、認知療法と行動療法を組み合わせたものです。 認知療法では、治療者との面接によって症状についての誤解(「認知の歪み」)を患者さん本人に自覚してもらいます。 端的に言えば、上記のようなパニック発作の性質を理解してもらうということです。
行動療法では、患者さん自身に実際にパニック発作を来たしそうな行動をとってもらいます。 美咲のケースでは、電車に乗ってもらうということです。 ただ、現状では再びひどい症状に襲われるだけです。 そこで、まずは軽微な刺激から始めて、徐々にその刺激に慣れてもらうという手順を踏みます。 美咲の場合には、最初は、「電車の旅番組を見る」「駅まで行って帰ってくる」などから開始することになるでしょう。 もし発作が起きそうになれば、頓服薬を内服したり、深呼吸をするなどの対処を試みます。 そうして徐々にパニック症状を抑えるすべを学んでいくのです。
エピソード1 「月曜の朝、仕事に行くと思うと憂うつになる」
メンタルヘルス領域での架空の症例を連載します。 ある程度まで集まったら独立したページにまとめます。 まずは、企業が集まる都会で起りうるケースです。
症例
香織(仮称)、30歳女性。10年前に岩手県から出てきて仙台市内の企業に就職した。 事務職として働き、最近では「ようやく一人前になった」と感じていた。
XX年9月、人事異動でA男が新しい上司として着任した。 大阪から配属されたA男は最初は低姿勢だったが、日が経つにつれて徐々に態度が変ってきた。 2ヶ月後も経つと、その神経質で気分屋の性分が露わになった。
A男は、香織がコピーした書類を見て「斜めになってるやろ、このバカ」と激昂した。 その後も些細なことで香織を責め立て、「うちの会社にこんなアホは要らん」などと同僚全員の前で名指しで香織を非難した。 萎縮した香織はミスを連発するようになり、そのたびに激しく叱責されるという悪循環に飲みこまれていった。
香織の心は、いつのまにかピアノ線のように張りつめていた。 自宅のソファーで休んでいるときでも、ふと気付くとA男の激昂した顔が浮んでくる。 そのたびに動悸が始まり、息苦しくなる。 A男がどこかで自分を見張っている感じがするのだ。 元気な頃は休日にはよくショッピングを楽しんでいたが、今は何をしてもおもしろくない。 休日でも体が鉛のように重くて一日中横になっている。 それでも疲れがとれた気がしない。 夜はなかなか寝付けず、食事も喉を通らない。 病状は日曜の午後から次第に悪化し、月曜の朝に頂点に達した。
一人暮らしで身近な相談相手もいないし、友だちにはこんな自分を見せたくない。 実家の母に電話したが、「仕事なんだからもう少し頑張りなさい」と真面目に取りあってくれなかった。
その母が、年末近くになって実家から様子を見にきた。 母は、痩せほそった香織を見て、とても驚いた。 母に連れられて、香織は受診した。
解説
香織の診断は、 職場ストレスによる適応障害、抑うつ状態、うつ病などが考えられます。 ただ学術的な診断名は、香織にとって重要ではありません。
どんな人間にとっても苦手な相手や緊張する場面はあるものです。 そうした状況に長く置かれると人間の心はどんどん萎縮します。 典型的な事例は、「アルプスの少女ハイジ」でしょう。 大都会フランクフルトでの豪華な生活も、大自然のなかで育った天真爛漫なハイジにとっては、牢獄に等しいものでした。
こうした状況を放置しておくと病状は悪化するばかりです。 自然な回復は期待できず、それどころか最悪の場合には自殺の危険すらあります。 追いつめられた人間にとって、「死」は最後にして最大の逃げ場だからです。
このケースでは、原因は上司の対応にあることは明らかです。 事態を打開するには、できるだけ早くこのストレス因子から遠ざけることが必要です。 ところが多くの職場には自浄する仕組みがありません。 そこで外部からの早急な介入が不可欠になります。
治療について
もし香織が受診した場合、私は「休職を要する」という内容の診断書を発行して自宅療養をさせ、速やかに香織をストレス因子から遠ざけます。 香織のように原因が明らかな場合、その原因がなくなると症状が改善してくることが期待できます。 それでも少なくとも1ヶ月程度は十分な休養が必要でしょう。
症状が十分に改善すれば、時期を見て復職のスケジュールを考えなくてはいけません。 その際に最も重要なのが、原因となったストレス因子を復職後の環境からできるかぎり除去しておくことです。 上司が別の職場に異動することが最善でしょうが、なかなかそうもいきません。 場合によっては会社の人事担当と面談を組み、香織を別の事業所に異動させるなどの代替策を会社側に提案することになります。 復職後も少なくとも半年ほどは注意深く経過を負う必要があります。